イスラム世界と全世界のフラクタル性 ~大いなる錯覚~

 いかめしい表題をつけてみました。

学術的な香りが・・・。

すいません、自己満足です。

 

イスラム教徒のことをムスリムといいます。

ムスリムの方々は、世界に16憶人もいるそうです。

イスラム教の聖典アラビア語で書かれており

ムスリムの方々は、アラビア語で祈るそうです。

 

さらに、アラビア語を日常語として話している人数は

2億人。

 

これだけの人数がおり、宗教はもちろん、歴史、文化も類似しているのに

どうして連帯しないのか。

連帯すれば、あらゆる産業が栄え、世界で最も大きな共同体になれるのに。

 

まず、歴史上トルコ建国の父と呼ばれるムスタファ・ケマルによって

カリフ制が廃止されたこと。

カリフとは、イスラム信仰共同体を束ねる宗教的、政治的生きた象徴であった。

よって、統一が崩壊。

 

また、民衆レベルでは、イスラム世界統一の志向性が存在するらしいのですが

支配層がその逆らしいのです。

 

それは、OIC(イスラム協力機構)の存在目的で明白です。

OICはイスラムの連帯を謳っていますが

その実、お互いの既得権益を侵さないというカルテルを結んでいる。

いかにも民衆のためと言わんばかりの理念を掲げながら

支配層は私腹を肥やすことに懸命になっているというわけです。

 

これは、イスラム世界だけのことではないでしょう。

世界中がその構図のもとに成り立っているとみます。

ですので、相似しています。

 

私たちは、今ある世界を「あるべき世界、必然的世界」と解し

疑問にすら思いません。

しかし、それは錯覚であるといえます。

もとから存在したわけではないのです。

 

本当は「違う世界」もあり得た。

なのに、今の世界であるのはどうしてか。

これは進化と言えるのか。

発展と言えるのか。

ただの変化ではないのか。

 

根源、あるいは大前提を考えてみる必要がありそうです。

 

狂った土台に家を建てても、まともに建ちませんね。

でも、狂った土台をそのままに、何とかしようとする。

最初のボタンを掛け違えたまま、継続している。

それが生きる事だと錯覚する。

 

これは、健康にも当てはまります。

健康の土台は、食べ過ぎない、歩く。

余計なものを食べて、歩かないのに

薬を飲んでも仕方ないでしょう。

 

お金の成り立ちについても同様です。

金融のしくみしかり。

 

錯覚によって成り立っている世界は

幻想か。