見えないものが見えるか?

yoshinaotimes.com

↑ 私が加入してるMLMについての記事です。

↓ もう一つ。

 

【実態】今注目のプライム共済とは【調査】 | | MercuryHeaven

 

どちらも、見えるものについての内容です。

これはこれで良いのです。

見えているものについての評価や議論の記事。

でも、何か物足りない。

 

私は今までに3人の講師のセミナーを拝聴しました。

いづれもパンフレットに沿った内容です。

それでも、講師独自の視点が垣間見られます。

面白いです。

でも、物足りない何かがあります。

 

先日のセミナーに、お一人の方をお連れしました。

反応が無かったので、考えていました。

 

これらを合わせて考えている最中に、「あっ!」と閃いたのです。

「見えないんだ!」

 

見えるものが強調されて、見えないものを見ることができない。

こんな感じではないでしょうか。

 

そこから、敷衍していきます。

 

私の場合、一回目のセミナーで

何か面白そうだな、という感触を得ました。

でも、なんだかスッキリしない。

 

そこで、二回目のセミナーに参加。

そこで、ああ、これっだったのか!の感触が湧きました。

この組織、未来は未定ですが、とんでもない事になるかも、と。

会員が増えて、こうなって、ひょっとするとこうなるかも。

そうすると、こうなって日本一の巨大組織に。

凄いことになりそうだ!

※私個人の勝手な目論見です。共済会やセミナーとは関係ありません。

妄想に近いかも知れませんが

先行きが未確定だから面白いのです。

 

この共済会の会員数は、現在14万にから15万人。

この会員の方全てに当てはまるとは言えませんが

私と同じ何かを、見た!方々が多いのではないかと思います。

そして、会員は勧誘をして、一人くらいは断られるでしょうから

最低14万人の方は見えなかった。

 

穿った見方ですが、見えない人々のおかげで見える人々が助かる。

だって、見える人ばかりなら、とっくに定員オーバーとなり

私は加入できなかったからです。

 

多分、セミナーに来てそのまま帰られる方は

見えないのです。

これは仕方のない事です。

私が森羅万象を観自在かと言ったなら、否です。

でも、態度はとります。

 

眼を塞いでいるのか、見えるものしか信じないのか、見えないものが怖いのか・・・。

どんな理由にしても、見えない。

でも、見えないものを見ようとする態勢をとることは可能ではないか。

態勢すらとっていない、かのように見える。

 

だから、目に見えているものの隅をつついて、批判するのではないかと。

見えないから、わからない。だから否定する。

往々にして、人間は理解できない対象を否定します。

見たくないからです。理解できない自分を。

否定しないまでも、時間が無いとか、興味が無い、とかにすり替える。

そして、現状の延長という一本の糸にすがる。

 

このMLM

未知のものに対する態度を測る踏み絵か。

既知のものに対する態度を測る踏み絵か。

自己に固執する度合いを測る踏み絵か。

他にもいろんな機能がありそうです。

 

やや強引な記事になりましたが

考える材料になると思います。

 

「個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはない。問題の根源はお金にある」~エンデ~

エンデの遺言

↑ amazonのブックレビューとカスタマーレビューを読んでみましょう。

それだけでも「あれ?」と思うことがあるはずです。

 

地域通貨という概念があります。

例えば、1か月に1パーセントの割合で、価値が減る通貨。

今どきのビットコインの技術を使えば可能かも。

これをある共同体で実験的に実施してみると面白そうです。

 

予想としては

蓄財が不能になり

ものすごい勢いでお金がまわり

使ってもすぐにお金が入ってくる状況になるため

不安がなくなる。

 

でも、最も大事なのは

幸福という概念がはっきりと浮かび上がるであろうこと。

今の幸福の概念は真如。真のごとし。まやかし。

なぜなら、自然に依拠せず、人造のお金という価値に依拠しているから。

人造のしくみに振り回されて、人生が終わってしまう。

 

いくら個性だと騒いだところで

たった一つの人類共通の、人造の価値観が土台になっていることが

はっきりするのではないか。

土台が一緒なら、個性ではなく、ただの変形。

いや、奇形か。

 

逆にいえば、今のお金の在り方は、幻想を生み出す最高の道具。

イスラム世界と全世界のフラクタル性 ~大いなる錯覚~

 いかめしい表題をつけてみました。

学術的な香りが・・・。

すいません、自己満足です。

 

イスラム教徒のことをムスリムといいます。

ムスリムの方々は、世界に16憶人もいるそうです。

イスラム教の聖典アラビア語で書かれており

ムスリムの方々は、アラビア語で祈るそうです。

 

さらに、アラビア語を日常語として話している人数は

2億人。

 

これだけの人数がおり、宗教はもちろん、歴史、文化も類似しているのに

どうして連帯しないのか。

連帯すれば、あらゆる産業が栄え、世界で最も大きな共同体になれるのに。

 

まず、歴史上トルコ建国の父と呼ばれるムスタファ・ケマルによって

カリフ制が廃止されたこと。

カリフとは、イスラム信仰共同体を束ねる宗教的、政治的生きた象徴であった。

よって、統一が崩壊。

 

また、民衆レベルでは、イスラム世界統一の志向性が存在するらしいのですが

支配層がその逆らしいのです。

 

それは、OIC(イスラム協力機構)の存在目的で明白です。

OICはイスラムの連帯を謳っていますが

その実、お互いの既得権益を侵さないというカルテルを結んでいる。

いかにも民衆のためと言わんばかりの理念を掲げながら

支配層は私腹を肥やすことに懸命になっているというわけです。

 

これは、イスラム世界だけのことではないでしょう。

世界中がその構図のもとに成り立っているとみます。

ですので、相似しています。

 

私たちは、今ある世界を「あるべき世界、必然的世界」と解し

疑問にすら思いません。

しかし、それは錯覚であるといえます。

もとから存在したわけではないのです。

 

本当は「違う世界」もあり得た。

なのに、今の世界であるのはどうしてか。

これは進化と言えるのか。

発展と言えるのか。

ただの変化ではないのか。

 

根源、あるいは大前提を考えてみる必要がありそうです。

 

狂った土台に家を建てても、まともに建ちませんね。

でも、狂った土台をそのままに、何とかしようとする。

最初のボタンを掛け違えたまま、継続している。

それが生きる事だと錯覚する。

 

これは、健康にも当てはまります。

健康の土台は、食べ過ぎない、歩く。

余計なものを食べて、歩かないのに

薬を飲んでも仕方ないでしょう。

 

お金の成り立ちについても同様です。

金融のしくみしかり。

 

錯覚によって成り立っている世界は

幻想か。

 

お金は腐らない

お金は腐りません。

自然物ではありませんので。

この腐らないものは、所有にぴったりです。

いくら持っていても腐らないからです。

もし、お金に賞味期限があれば

速やかに使ってしまうでしょう。

腐る前に食べないといけない。

使ってしまわないと損です。

そうであれば、お金はぐるぐる回ります。

 

腐らないお金は

一部の人に貯めこまれると、多くの人にお金がまわりません。

そうしますと、お金が必要な人や無い人は

少ない流通のお金の範囲で

安い賃金でも働くようになり

生活のために必死になります。

 

そして、お金を持っている人の言うことをきくようになり

ここに雇用者と被雇用者の関係が出来上がります。

いいかえれば、支配と被支配です。

 

支配者は権力者でもあります。

政治家は金持ちが多いです。

ここに、お金持ち=支配者=権力者の三段論法が出現します。

つまり、お金とは権力者、パワー、力となります。

 

どこが交換の手段なんでしょう。 

7号食と歩く事

7号食と歩く事についてはこちら。↓

あすなろ日記

 

7号食を結構な日数やり、同時にウォーキングをしていた時期があります。

5年ほど前でしょうか。

 

おかげ様で1年に2回ある健康診断も良好です。

これといって特別なことをしていないにも拘わらず、です。

 

普段の食事は、肉、魚を好んで食べることはありません。

外食の時に食べる程度。

自炊していますが、野菜中心になっています。

健康のためには「なるべく摂らない」が一番であることを

証明しています。

しかも、特段我慢しているわけでもありません。

健康のために・・・と踏ん張っているわけでもありません。

こういうのを「楽」と云うのかも知れませんね。

 

それと、歩く事。

お年寄りの方と話していると

「昔はスポーツもよくやったし、たくさん歩いたのに・・・。」

とおっしゃる人が多いのです。

というのは、膝が痛くて歩けないとか、腰が痛いとか。

個人的予想なのですが

中心軸がずれたまま、運動をし続けた結果ではないかと。

それが歪となって、各部に負担をかけていたのではないかということです。

 

といいますのは

7号食と並行してウォーキングをやったのですが

その時、靴の中に特別なインソールを入れたのです。

オーダーメイドで「姿美人」といいます。

これで歩き始めたときは

脚部のあちこち、特に膝のあたりが痛くなりました。

自然と矯正されていたのでしょう。

その後、痛みはなくなりました。

一日に20km歩いたこともあります。

結果、靴のかかとの偏摩耗はなくなりました。

矯正しないままいたら、将来どこかに故障が起きていたでしょう。

間違った運動をするくらいなら、しない方がいいかもしれません。

 

このような経験から

先述の予想をしたわけです。

 

7号食も歩くことも

自分ひとりでできることです。

ある程度やれば、恒常的に維持されるようです。

これ以上の健康法は無いですね。

他のMLMとの違い

【実態】今注目のプライム共済とは【調査】

↑ 私が加入しているMLMについての記事のリンクです。

 

コンパクトにまとめられています。

 

でも、将来どうなるかについては触れられていません。

 

想像してみることが必要です。

 

会員数が増えれば

受けられるサービスが増えます。

また、目玉となるサービスが現れるかもしれません。

 

そうすると、さらに会員が増えます。

これは個人的希望的観測ですが

会費も安くなるかもしれません。

 

そうしますと

そこらの企業の福利厚生や既存の共済を

桁違いにしのぐ巨大団体になる可能性があります。

 

サービスを受ける側に立つのではなく

サービスを広める側に立つ必要があります。

 

わたしもサービスを受ける側なら、加入しません。

 

さらに、紹介者のグループというものができますので

そのグループで面白いことができる可能性もあります。

 

組織の将来をイメージできるか

自分の将来をイメージできるか

 

これだけです。

MLM(マルチ・レベル・マーケティング)からのインスピレーション

yoshinaotimes.com

↑私が加入しているMLMについて、いろいろ書き込みがあります。

読んでみて、面白く感じます。

 

肯定と否定のどちらも結構です。

問題は、想像力かなと。

 

ショルダーフォン(移動式電話)が

携帯電話を経て

スマートフォンにつながるとイメージできた人は

一体、何人いるでしょう。

 

私自身、約20年前に携帯を使用していたにも拘らず

スマホをイメージすることはできませんでした。

 

こんなもんです。

 

ここで申し上げたいのは

ショルダーフォンにしても、スマホにしても

「こうなったらいいな。」「こうなるんじゃないか。」

というような想像を働かせた人達がいたから

存在したし、現存しているということです。

ここには、想像することによって創造していく、という過程があります。

その過程に於いては、現状批判や現状否定があったはずです。

例えば、ショルダーフォンを見た人が

「こんな大きくて重いもの、使えねーよ。」

と認識したら、ただの否定です。それで終わり。

ですが

「今は使いにくいが、小さくなればいいし、小さくすればいいじゃん。」

と認識すれば肯定的否定となります。

想像力を働かせています。

弁証法的か?

 

私はこのような認識方法と想像力をもって

加入しているMLMを観ています。

 

その観点とは

支配と被支配という構造を破壊、もしくは緩和する見込みがあるもので

その象徴的現象であり、かつ過程である、というものです。

 

続きは後日。